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アルコール依存症者の家族 父と母の理解力の違い

2022年03月10日

先日は一般家庭と我が家の「アルコール依存症者」への対応を書きました。

 

今回は、

我が家限定で書き込みます。

 

 

は厳格すぎるほど厳格で頑固者、

自分の敷いたレールの上を家族が進まないと、

「直ぐに怒るタイプ」でした。

 

何故その様な性格になったのか?

それとも私が頼りなかったのか?

どちらか解りませんが・・・・そういう人でした。

 

こんな言い方はしてはダメなんでしょうが、

もう他界しましたが、「家族ともども清々しています」

 

と、いうのも只の厳格で頑固ならいいのですが、

気に入らないと誰かれなしに見境なく喧嘩をするタイプでした。

 

私が学生時代にも、まるで武勇伝を語るかの様に,

「非常識な暴力を他人様にはたらく

こともあり、帰宅後、それを自慢話の様に聞かすのです」

 

私は、ハッキリ言って「なんじゃ、コイツ」

軽蔑しておりました。

 

私が中学生になり、小遣いを貯めて買ったアロハシャツも

「お前、なんで こんなチンピラみたいな服着るんや!」

帰って見付かると、直ぐにビリビリに破られました。

我が子が、小遣いを貯めて買ったものを、

自分の尺で測り判断して着れないようにする。

 

 

 

昔に流行ったスチール製の煙草銘柄の「ゴミ箱」

皆さん、記憶にないですかね~?

 

 

ある日は、帰宅後、2階からガンガン音がするので

「何事?」と2階へ駆けあがると、母が、そのゴミ箱で殴り倒されており

母はアザだらけ、ゴミ箱はベコベコになっていました。

当時、家には「弟が居ました」・・・・

私は弟に「お前、なんで止めへんねん!」と突っかかりましたが、

弟が言うには「怖くて手が出せなかった、止めると、俺までやられる」という返事でした。

 

 

そんな、どこか精神異常者的な部分もありました。

 

 

 

高校を卒業して、就職しましたが・・・父の態度が日毎コロコロ変わるので

帰宅後、母や弟と「父の機嫌をアイコンタクトで交わしていた」時期もあったほどです。

 

 

 

そんな父でしたから、

「息子のアルコール依存症」は、父のレール上にはないし、

私の離婚もレール上にはありません。

父からしてみれば、「息子は脱線してしまったのです」

 

脱線した者には、容赦なく牙をむいてきます・・・それが、我が父親です。

 

 それからと言うもの、私は父からしてみれば「人間ではない、空気の様な扱い」でした。

 

空気なら、まだ良かったかも知れません、「単なる、酔っ払いのゴミ人間」でした。 

 

 

そんな父ですから、病院へ一緒に行く事もなく、見舞いにくる訳もなく

我が息子でありながら、

脱線した電車を放置したままの状態

例えた方が、

皆様には伝わるかも知れません。

 

一度、レールから外れた者は知らん! って感じでしたね。

 

その頃、「父の心臓に疾患が見つかります」

医師に「飲酒を禁じられました」が、

父は、すんなり断酒しました。

 

 

それを、皮肉にも 私は以下のように考えます。

 

・父は自分の健康と、死への恐怖から断酒せざるを得なかった。

・私は、アルコール依存症という病を患い中毒となっている。

 

  中毒患者と「死が怖い」人間と比較されても、私は、止めたくても止められなくって

困っているのに、父は「お前は、意志が弱いからや!」と見下げてきます。 

 

「だったら、てめえも、

アル中になってから止めてみろよ! 

初めて尊敬したるわ!」

と、売り言葉に買い言葉です。

 

 

 

最終的には、肺がんで逝きましたが、タバコは最後まで止められなかったですね。

 

 

 

ニコチン1mgには落としていましたが、こそこそ買ってきては、隠れて吸ってましたね。

 

 

 

 

 

あれ~、おかしいやん。

 

 

 

 

酒は止めれて、タバコは止めれないの?って事です。

どちらも「死」が係っていますよ。  と、言いたい。

 

 

 

 

その時は、私は断酒に成功して15年くらい経過していました。

 

 

 

 

ある日、父の煙草20箱(1カートンですね。)隠してあった場所を、

私が偶然見つけてしまいました。

 

当時、父の治療の為の「薬代も2万/月を超える額でした」

薬は飲むわ、タバコは吸うわ、薬代は高いわで、母も私も頭を抱えておりました。

 

 

やり返しではないですが、

父を呼び付け

「お前さぁ、薬代いくらか知ってるよな? 

ほんなら、何じゃコレは!と、タバコをぶちまけ、

更に薬は窓から放り投げ、タバコも20箱全部開封し、

バラバラにして床に叩きつけました」

 

「そんなに吸いたきゃ吸えよ! 死にたきゃ、サッサと死ねよ!」

  って。

 

薬か、タバコのどっちかを選べと迫ったところ「タバコ」を選びましたね。

 

 

これが、あの時(私が依存症であったとき)に、吐いた言葉の本音の答えかよ・・・・

っておもった。

 

自分のやっている事は、全て正しく。

自分のレールに外れた者には、容赦なく襲い掛かる。

・・・・そんな感じです。

 

 

 

 

結局は、

「ニコチン中毒になって、おまけに肺がんにまでなってまだ吸うか?」

「お前、俺が酒で苦しんでる時と、今の自分、比べてみろ! 憐れ~ってヤツやの」

「人の事はなんぼでも言えても、自分は可愛いか? 情けない!」

 

と、言った記憶は鮮明に残っています。

 

 

 

 

 

一方で、母は、

献身的に、「我が子である」私を支え、病院という病院へ息子を連れて行き。

医者に頭を下げ、看護師に頭を下げ、断酒会にも、欠かさず付き添ってくれた。

父の命令に背いてまでも入院先まで面会に来てくれた。

 

しかし、息子の私は、

思うように断酒することが出来ず入退院の繰り返し。

 

 

そんな母を裏切るように、

「もう、何しても無理」・「死ぬしかねぇな」

と、線路で座り込みをしてたところに、何故か母が居る。

 

もう一回は、特急電車に飛び込むつもりでホームにいたが、

恐怖で飛び込めず失敗。

 

死ねない。

 

・・・・死ぬ勇気がないのなら生きる勇気を持とうと考え直した。

 

 

私は、

何度、母を裏切って悲しませたことか。

数えきれません。

 

 

 

父との一番の違いは・・・・

母は、

「アルコール依存症という病気で、病気が酒を飲ませる」 という解釈であった。

 

父は「根性論」

 

母は、 

 私が、離婚してかなりのダメージを受けている事も理解してくれてたし、

子供を堕したことについて、

「私自身が、物凄く罪悪感を持っている」

ことまで知っていた。 

 

 

 

しかし、辛く接することなく辛抱強く回復を待ってくれていた。

 

 

 

ある日、やはり ”ダメだと分かっていても酒を飲んでいる私に”

 

母は

「あんた、もう自分のこと許してやったらどうなん?」

 

「産まれて来たくても、産まれてこれやん子はいっぱい居る」

 

「あんた、酒で、自分に鞭打っとるんと違うの?」

 

「自分で、お酒って言う『毒』飲んで死ぬつもりと違うの?」

 

 

「そうよ。」・・・・と言いたかったでも、口から出たのは、

「そんなこと、忘れとったわ」・・・・でした。

 

 

 

「でもなぁ、オカやん、印鑑一つって、あんまりやねーか?」

と部屋を出て行った記憶はいまだに残ってます。

 

 

 

そんな極端な二人の息子が、私です。

 

 

 

 

 

詰まらぬ「我が家の恥」にお付き合いくださり

ありがとうございました。

 

次回、もう一人、紹介したい人物が居ます。

同級生なんですけどね。

コイツが居なかったらもっと入退院を繰り返していたか、既にこの世に居ません。

私が立ち直る為に必要であった「キーマン」と言ってもいいでしょう。

今でも大事な親友です。

 

では、失礼します。

 

 

 

 

 

 

心を和らげる相談室 HEART    代表   杉野 茂広

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