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私のアルコール依存者までの履歴書

2022年03月08日

私のアルコール依存者までの履歴書 

 

アルコール依存症者、及び依存症者予備軍の方を抱えている御家族、及び

当該者様へ

 

 

始めましての方も見えると思いますので簡単な私のアルコール依存症者としての

履歴を書き込みたいと思います。

そして、これから以降、暫く

我が家の家族がどう向き合ったのかを綴りたいと考えております。

宜しくお願い致します。

 

 

「私のアルコール依存症者としての履歴」

 

私は、現時点でアルコールを断ってから23年目に入りました。

幸いなことに今も、飲酒欲求なく過ごせております。

 

元々はそんなに飲めない人間でしたが、

「お酒を覚えたのは18歳で入社してからでした」

企業に入ると、それなりに「お酒の洗礼を受ける時代でした」

新入社員歓迎会・ビアガーデン・忘年会・新年会・送迎会・理由のない飲み会など

多くの飲酒の場がありました。

 

私の職場は皆、大酒飲みの集団でした。

 

そんな集団に居る以上、嫌でも「酒に強くなっていきました」

 

朝礼時に「お酒の匂いがしていなかったことは、記憶に残る限りでは皆無です」

 

職場環境が、そのような状態でしたし、社内に17時から開店する「飲み屋」も

あったほどです。

 

先輩に誘われれば「行こうぜ!」とすすんで行っていたことも事実です。

 

そして、色々な経験を経て26歳の時に初めての「結婚」をしました。

 

ですが、この結婚が「本来、幸せになる・幸せにする」ということから

大きくかけ離れていってしまいました。

 

会社に社宅を借りての新婚生活が始まりましたが、

会社の近くに引っ越したお陰で、「飲みに誘われる機会が増えていったのです」

 

ですが、それを他人の責任にするつもりは毛頭ありません。

「私が、断ればいいだけの話ですから」

 

ただ、今は当時の嫁には「可哀想なことをした・寂しい思いをさせた」と

反省は今でもしております。

 

・・

・・・

・・・・

退社後、そんな自由奔放にやりたい放題している私を見守ってくれていた

ことも事実です。

 

 

 

そんな日々が続き、嫁も一人社宅で私のことを待ち続けることも限界に達して

いたのだと思います。

 

 

アルバイトを始めると言い出したので、

「無理せず、家事を怠らない程度にやってくれるなら」と条件付きで認めました。

本来、私は反対でしたが、自分自身も先輩や他の人々と交流をしているのに

「嫁だけ籠の中の鳥」では、可哀想でもあり、

遠距離交際であった為、生活圏内に知り合いが居なく、

誰とも会話のないまま一日を終わらせることを、

「このままでは、駄目だな」と判断したという経緯も踏まえての決断でした。

 

当時は「カウンセラーの資格は持っていませんでした」

 

 

多くは、「終身雇用」でしたから。

 

 

 

アルバイト先も、中学の先輩が店長を務めるバーガーショッップでしたから

安心しておりました。

 

 

 

 

でも、ある時を境に、先輩は「転勤」になってしまいました。

ここからは、もう嫁の復讐と言われても仕方がありませんが・・・

 

 

当然、代わりの「店長が赴任してくる訳です」

 

 

 

 

いつの間にか、その店長と「良い仲」になっていたのです。

 

 

 

 

 

 

会社が終わり直帰で帰宅することもあります。

一緒に食事をしていても、嫁の口からでる名前は「新任の店長の名ばかり」

 

 

 

 

 

 

少し、夜の生活の事に触れますが

「そろそろ、真面目に子作りに励むか?」と考え、嫁を抱いたときに

「もう、一瞬で解りました、あ~この女はもう俺の女じゃない」

って。

 

そこから勘案していくと色々な不可解な部分が出てきました。

 

私は、T字のカミソリを使っているのですが、「カミソリの刃の減りが異常に早いこと」、

そして、嫁の中で、「私の、食事の好みも変わって記憶されていること」

当時、3週間に一週間のローテーションで夜勤があたる勤務状況でした。

 

夜勤は朝の5時に終わります。 

そのまま帰っても15分もあれば帰れます。

異常を感じ始めてから、「私も警戒していましたから、いろんなものの配置や数量を把握しておりました」

ある日は、夜勤で帰宅後、冷蔵庫の中に「アンチョビのビザ」がありました。

 

寝むけ眼で起きてきた嫁からでた言葉は、

「あんた、アンチョビ好きやで残しておいたよ」と、

しかし、どう見ても残しておいたと言う表現には程遠い状態で入っていました。

 

ここでも、嫁はミスを犯しています。

 

「アンチョビのピザは、私は嫌いなのです」・・・黙っていましたけどね。

 

昨日、俺が出勤してから誰か来たの?

と尋ねても、「誰もきてないよ、お腹が空いたからピザ頼んだ」との回答でした。

別に私も粗を探している訳ではありませんが、ビールの空き缶を見つけました。

 

実は、嫁は一滴も飲めないのです。

 

なのに、ビールの空き缶が部屋の隅にある。

「ふ~ん、と言いながら、私の中では、もう完全に俺の嫁ではなく、他人(恐らくは新任の店長である)の女になりやがった!」 という確信が持てました。

 

相変わらず、口からでる言葉は、「店長の話ばかり」

 

その次の日は、いつもなら早朝でも起きてくるのに、全く起きる気配がない。

「寝かしておいてあげよう」と放置していましたが・・・・朝の8時になっても起きてきません・・・・これでは、流石にバイトに間に合わないだろうと、起こし。

 

「どうした、疲れか?」と聞くと

「あ~、昨夜、店長のアパートで皆と呑んでいて 潰れた子がいたから

店長と4時まで介抱した、5時前に帰ってきたから・・・・」との回答。

 

流石の私も、怒りの心に火が付きました!

「お前さあ、前から疑っているけど、店長と寝たやろ! そんで、店長もこの家に出入りしてるよな!」と言い放ちました。

「だいたい、結婚している女が、いくらアルバイトの皆が集まるっていっても、

独身の男の家に出入りすること自体異常なんじゃ! 反対に俺が皆と独身の女の家に行くとしても、黙っては行かんぞ! やましいで黙って行くんやわのー?!」

 

「何、言ってんの?」とはぐらかされましたが、証拠は、おかしいと異常性を感じてから多く出てきています。

 

 

それからも、夜勤の出勤時には嫁のクルマのタイヤに細工をして、

私が居ない間に出歩いているかを確認していました。

結果は、やはり何処かに出かけているという動かない事実を掴んでおります。

 

もう既に修復不可能と悟った私は、最後に沖縄旅行に誘いました、

それも、翌日から沖縄地方は台風の暴風域で何もいい思い出は残せませんでした。

全くヤレヤレなこった。

 

 

それから、暫くして後輩の結婚式に招かれました。

私は飲むので「飲めない先輩の車で一緒に連れて行ってもらいました」

すると、見たくはなかったのですが、

店長は制服、嫁は私服、仲良く

お手て繋いで私と先輩の乗っている

クルマの前を横断していったのです。

(クルマは先輩のでしたから気付かなかったのでしょうね)

 

今でも、その満面の笑みは忘れておりません。

そして、嫁と店長の進んで行く先には店長のアパート。

 

 

 

 

これが、決定打でしたね。

 

 

 

 

 

その夜、

「もう離婚すんぞ!」とこちらから切り出しました。

 

 

「よその男のアパートに出入りするような女、信用出来るかよ!

しかも、バイトって言ってたよな? お前のショップは私服で作業してないやろ?」

 

 

「それも、午前10に私服って、もう仕事始まってる時間に、チョロチョロと店長と

何処へ出掛けんねん!」

 

「今すぐ、とっとと、出てけ! 実家へ帰ろうが、店長のアパートに行こうが

一切関知しない、好きな所に行け!」と言った途端、

実はお腹の中に「赤ちゃんがいる」と聞かされました。

 

驚愕の事実ってヤツです!

 

 

 

「あのなぁ~、それ店長か誰か知らねーけど、絶対に俺の子じゃないのよ」

 

「違う、あんたの子に決まってるやん」

 

「いいや、絶対に違うのよ、もう8ヶ月もお前とはSEXしてないのにどうやって俺も子が出来る? 言ってみろよ!」

 

 

そうなんです、そろそろ子作りを・・・と思って抱いた時の違和感から

私は、一切SEXをしてないのです。

 

それが、いきなり「妊娠3ヶ月で俺の子って、信用出来るかよ!」

 

「だったら堕す!」

 

「ああ、堕せば! 違う血液型出てきたら困るもんなぁ、それも計画のうちやろ!」

 

「そもそも、お前の腹の中に居る以上は、お前は関係をもったことに変わりはない!

そして何ヶ月もSEXはワザとしてない俺の計画、知らんやろ!?」

 

 

「だから、俺の子です!は通らないのよ、残念でした」

 

 

「よく考えろよ。 お前が撒いた不始末でお腹の中の子を殺すんやぞ。

 自分の腹の中の命はどうでもエエんか?! 良く考えてモノぬかせ!」

 

「それにな、戸籍上、お前はまだ俺の嫁になってるから、俺の印鑑がないと堕ろせやんよ・・・それまでに生むことを考えろ、子供が欲しくないのなら産むだけ産め!

俺が、誰の子であろうが育てる・・・よー考えろボケ!」

 

 

翌日には嫁は、家から出ていき「どこへいったのかと嫁の実家に連絡しても帰ってない」とのこと、今、考えると家族で嘘をつかれていたのかもしれないが、

店長のアパーとに転がり込んでいたのかもしれない。

 

 

何か月後に電話がなった。

 

 

堕胎する為には、ギリギリ限界と言う内容だった。

 

「最終確認や、どうしても堕すんやな? 明日、印鑑持って実家へ行くで書類用意しとけ

・・・とうとう、俺を人殺しにしやがって・・・、と受話器を置いた記憶は鮮明に残っている。

 

この印鑑を押す行為こそが、

「私にとって、殺人に加担したという罪の意識を植え付け、何もする気の起きない、

ヤル気の出ない、その場から居なくなりたい、逃げ出したい、考えたくない」

という意味でアルコール依存症に転落していく切っ掛けになったのは他ならない。

 

しかし、ここまで、元嫁の悪い部分ばかりを書き込んで来た。

 

当時は、恨んでも、憎んでも足りない存在であったが、

今、考えると一番悪いのは私である。

 

 

 

 

凄い長文、最後までお読みいただいて感謝いたします。

「いいね」、「意見」があれば頂きたいです。

贅沢を言わせて頂ける身分であれば

「意見」が欲しいです。

どうか、宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

心を和らげる相談室 HEART    代表  杉野 茂広

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