あしたのジョー心理学概論~矢吹 丈 その心の病~ PART21 | 三重県でアルコール依存症をはじめとした悩み相談を受け付けております

ブログ

  1. 三重でアルコール依存症の相談をするなら【心を和らげる相談室 HEART】トップ
  2. ブログ
  3. あしたのジョー心理学概論~矢吹 丈 その心の病~ PART21

あしたのジョー心理学概論~矢吹 丈 その心の病~ PART21

2022年01月19日

消せない罪の意識

 

 

力石の死後、主な攻撃をボディーブローに変えたジョーは、

「死神」

「地獄からの使者」

などの異名をとり、残忍で非情な性格が更に強調されているが、

ここにも、ジョーの人間らしさを感じることができる。

 

”この時、ジョーは意識下において

力石を死に追いやった罪の意識を強烈に背負って

長い間、テンプルが打てない状態になっていた。”coldsweats02

 

これにはジョーの持つ「愛他性」の強さと、

以前に述べたジョーの「内的統制型」の性格が大きく関係している。

 

愛他性とは

他人を尊重し、その利益や幸福のために自発的に行動する傾向。

 

ジョーの行動には随所にこの傾向が見られる。

 

例えば、

ジョーがドヤ街に現れた時に、チビ達に語った夢にも強く示されている。

「遊園地」や「総合病院」、働けなくなった人達の「養老院」、

小さい子供達のための「保育園」

仕事にあぶれている連中のための「工場」など、福祉に重点が置かれ

とても、15歳の少年によるものとは思えないが、

ジョー自身が、孤児院を転々とし、孤児院からも数えきれないほど

逃げ出していることから福祉に興味があるのではないか?とも

伺える。

 

通常、このくらいの少年は自己中心的な計画をもつのだが、

ジョーには、それが全く見られない。eye

 

また、

少年院からの出所をドヤ街の住人達に祝ってもらった夜には、

ボロ布団の端を噛みしめて、ひとり涙を流しているシーンもある。crying

 

こうしたことから分かるように、ジョーは他人に対して非常に

情緒的な部分がある。

 

おでん泥棒でヤクザに捕まった見ず知らずの幼いサチを助けるのも、

ゴロマキ権藤に打ちのめされたウルフ金串を救うのも、

全てジョーの「愛他性」のなせるわざなのである。

 

そして、

この「愛他性」の強さは、ジョーの「内的統制型」の性格を助長する。

 

ジョーは

元々、内的統制傾向が強く、自分の影響力を過剰に評価するため、

自分の行為に対して必要以上に責任を感じやすいのであるが、

それが更に「愛他性」によって強化された状態と言えよう。

 

そのため、

他人にとっての「望ましくない結果」に自分が関係した場合、

それが何か他のものによって引き起こされたとは

考えられなくなり、自分の行為に対して必要以上に

強く責任を感じることになってしまう。

 

 

力石の死は明らかに、ジョーのパンチだけが死因ではなく

苛酷な減量や不運が重なって起こったものであるが、

ジョーは、

「内的統制型」の性格と強い「愛他性」の為に意識下において

自分が力石を殺したと思い込み罪の意識を一身に背負い

苦しみ続けたのであろう。

 

 

経験したことのない思い

 

力石戦以降、リングに上がることなく、流離人となっていたジョー。

 

ゴロマキ権藤の言葉に心を動かされたのか、

再び「丹下拳闘クラブ」に戻ってくる。

 

しかし、それは完全復活ではなく

「顔面の打てないボクサー」としての始まりだった。

 

ドサ回りをする頃から、

戦いへのジョーの原因帰属に変化の兆候が見られた。

 

最初の兆候は、カーロス・リベラ(世界バンタム級第6位)の登場で

ジョーが感じ取る「内生的」なものに見られる。

 

それは、後に分かるが全て白木葉子の画策であった事は事実である。

 

 

カーロスが南郷戦で見せた高等反則に触発され、タイガー尾崎戦での

「1R KO宣言」に ”力石の再来” を感じたジョーは、

自分の中に「苛立たしさ、もどかしさ」を感じている。

 

(この高等反則は、レフリーも見逃しており、マスコミも知っていない、

ジョー本人が自分の目で目撃したもので、右ストレートを打ち込んだ際に

その勢いで肘で顔面を打つ反則である。対戦相手は、ストレートと肘打ちの

2つのダメージを負うことになる)

 

一瞬ずつが命がけのリングで本気と芝居の使い分けが出来る、

     カーロスの底知れないスケール”

 

それをジョーは自分の身体で確かめたいと感じ始めていたのである。

 

こうした思いは、ジョーがまだ経験したことのないものだった。

 

本来、ジョーの拳闘は、少年院時代の因縁として

打倒力石の手段として始められた。

 

明らかに「外生的」なものであった。 ウルフ金串戦もそうである。

 

ジョーはこれまで、売られた喧嘩を買ったり、

戦いの勝敗に拘ることはあっても、戦うこと自体に動機づけられた事は、

なかったのである。

 

時が経つにつれ、ジョーの中にある「苛立たしさ、もどかしさ」は、

カーロスに「本音をあげさせたい」という内なる思いへと具体化する。

 

 ここでの「本音をあげさせたい」の意味は言葉ではなく、

リング上で高等反則を行ったり、本気や芝居の部分を見抜きたい、

   どれ程の実力の持ち主かを確かめたいと言う意味 ―

 

 

「力、いっぱい打ち合って、もし、ぶっ殺されたって悔いはない、

     笑って死ねそうな気がするさ」”

このジョーの言葉は、戦うことへの純粋な「内生的」理由を示す。

 

このことは、スパーリングを含めて4度カーロスと対戦し、

一度も決着がついていないにもかかわらず、

ジョーが、満足感、充実感を感じている事や、

カーロス最終戦の後に、段平の代わりに「白木ボクシングジム」に

報酬を受け取りに行った時、白木葉子から示された過剰な報酬を

断っていることからも推測できる。

本日は、ここまでにします。

次回は「なぜ、俺は立つんだろう・・・?」です。

 

お読み頂きありがとうございました。

 

心を和らげる相談室 HEART  代表  杉野 茂広


 

 

 

 

 

 

 

 

PAGE BACK

ページの先頭へ

メールで今すぐ相談する