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あしたのジョー心理学概論~矢吹 丈 その心の病~ PART6

2021年12月13日

日常から疎外された者同士のコミュニケーション

 

ジョーにとって対戦相手とは、どのような存在だったのであろうか。

対戦相手は、どのような質の存在であったのか、

それを端的に示す「セリフ」がある。

 

「たがいの血と汗をたっぷり吸い込んだグローブで、

    徹底的にぶちのめしあった仲ってもんは、

   百万語のべたついた友情ごっこにまさる男の魂の語らいとなって、

                                       俺の身体に何かを刻み込んでくれた」

 

この言葉は「徹底的にぶちのめしあう」という、

日常とはほど遠いところで初めて成り立つ他者とのコミュニケーションが、

ジョーにとって極めて重要であることを示している。

 

文中にもあるように「魂の語らい」なのである。

全くもって、一般人には理解しがたく、

妄想、勝手な思い込みが生じる危ないものである。

 

また、逆に言えば、このような非日常の場でなければジョーにとっては、

他者との関係が実感として成り立たないともとれる表現である。

 

これでは、昭和生まれの私の子供時代と同じではないか?と、

感じる部分がある。

 

簡単に言えば、殴り合いの喧嘩をして仲良くなる

幼稚なコミュニケーションの取り方と同じではないか。

(私も、そのタイプでした・・

しかし、子供だから因縁をつけるとか、そう言う事ではなく

言い争いになると喧嘩になるタイプでした・・・

そんなものでしょう? 昔の小学生時代の男子ってのは。

今の御時世、

こんな事してたら即親だの学校が出てきますし、イジメの対象に成りかねません)

 

 

ジョーにとっての日常とは、浮ついた言葉の舞う、何か希薄な世界であり、

「百万語のべたついた」関係しか成立しない実感の伴わない世界だったのだろうか?

 

この意味では、ジョーは「日常」から疎外された存在であり、

「非日常」へと常に招かれている存在と判断するしかない。

 

ボクシングにおいてジョーが深層意識的な非日常の領域へ降りる、と言うことと、

そこでは、どの様な事がおこっているのかが、ここでのポイントである。

 

 

ジョーの戦い方を見ると、この意識変性への傾斜が顕著に見られように思われる。

例えば「ノーガード戦法

これは、全く防御することなく、相手のパンチに自分の頭部を委ねる戦法である。

 

しかし、ジョーは敢えてノーガードにして相手のパンチを打つ力に合わせて自分もカウンターでパンチを合わせ、お互いの勢いで先に顔面に当てた方がダメージの少なく、相手には何倍ものダメージを与える「クロスカウンター」を得意としている事は忘れてはいけない。

 

 

不思議なほどジョーは自らへのダメージを重ねる事に固執しているのように思われる。

これが常識的なボクシングスタイルから いかにかけ離れているかは、

ジョーのデビュー戦のレフリーの怯えたような表情が端的に物語っている。

レフリーは、こう語っている

「かれは、彼は打たれながらわらっているんです・・・・。打たれるのを楽しむかのように・・!」

 

なぜなら、ジョーが殴られて意識を変性することで繰り広げる非日常的な領域は、

単に、ジョーのひとりよがりのものではなく、リングという空間の質そのものを変え、

相手にもその影響を及ぼすからである。

という事をジョー自身が理解しており、計算された作戦であったかも知れない、

それこそがジョーの望んだものだったのではなかろうか。

 

また、カーロス・リベラとの戦いでは、ジョーが殴り、殴られて、自らの何かを解き放つのに共鳴するかのように、カーロスも華麗なテクニックを忘れ去り、昔、ベネズエラのドヤ街でチンピラ相手に喧嘩をしていた時代に逆行していく。

 

心理療法の過程においてはクライアントがカウンセラーに受容されることで「退行」が起こる場合もあるが、ここでカーロスとジョーの両者に起こっている事は正に「退行」であると考えられる。

 

 

精神分析学における退行

現状の自分にとって克服することが困難な状況に置かれた時に、いったん現在の自分より以前の発達段階へと戻って、幼児的な行動などの過去の行動様式に基づく行動をとることによって、そうした解決困難な状況に直面することを回避する心の働きとして定義することができると考えられることになります。

 

しかし、この退行は単なる「退行」ではない。

 

カーロスとジョーを中心としたその空間は、どんどんその退行の速度を増し、

その原始的な格闘のパワーに観客は圧倒されつつ、感動を覚えた。

 

事実、この場面の描写は例えアニメであろうが、圧倒され、感動する、

最終戦のチャンピオン「ホセ戦」よりもインパクトは大きく感じる。

 

リングの上で両者の何かが解放され、癒されたのだとも思われる。

そして、この時のリングは神聖な場所へと変わっていき、

この領域こそが、ジョーの「魂の語らい」と言う言葉が具現化した領域であったのであろう。

 

今回は、難しい内容となってしまいました。

説明するにも噛み砕きようがなく途中で書き込みを辞めようとも思いましたが、

今回は、この辺で終わらせて頂きます。

 

次回は、先日のPART5での内容をもっと心理的観点で深堀りしていこうと考えております。

 

心を和らげる相談室 HEART      代表  杉野 茂広

 

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