2021年12月10日
ボクシングとの出会いがジョーの”異常性”をさらに加速させた。
PART1~PART2 で書き込んだ「矢吹 丈」の性格を挙げてみよう。
ジョーは、利己的で自己中心的であり、計算高い面をもっている。
自尊心が強く、皮肉屋で他者の欠点を暴くのが好きで、他人の善意を信じない。
心を開いたように見えるのは、ジョーよりもずっと小さな子供か生活能力や社会的能力の欠けた人間に対してばかりである。
加えて、衝動的・暴力的な面がありジョー自身でもそれを抑えきれず自分の身体が著しく傷つけられても戦うのをやめない。
これは、トレーナー・コーチである「丹下 段平」が制止するにも関わらず練習メニューの変更や、自分の思い立った破天荒な練習やスパーリングでも表現されている。
デビュー当時は、「喧嘩屋 ジョー」と揶揄されるのも、現在のボクシングスタイルであるものとは全く違う方法であり、ジョー独特のボクシングスタイルである。
力石戦で出した「両手ぶらり作戦」のちに「ノーガード戦法」と言われる。
では、なぜ「ガードを重視するボクシングでノーガードで挑んだか?」
力石戦では、お互いの手を知り尽くした両者が対峙した事によって、何ラウンドも、睨み合いが続き観客からもブーイングが出る程、お互い「手が出せない状態が続いた」
ジョーは、力石の得意とするアッパーを警戒
対する
力石は、ジョーのクロスカウンターを警戒
そこで、ジョーの利己的で計算高い部分が表現されているのが、ノーガード戦法である。
両手をぶらりと下げ、まるで ”早く打って来いよ” と相手を煽っているのである。
しかし、力石も計算高い人間でボクシングセンスは抜群で元フェザー級なのでパンチの威力はある。
ここで、力石が攻め込むと思いきや、力石までもがジョーと同じノーガードを始めるのである。
また、睨み合いが続きラウンドばかりが過ぎて行く。 観客のブーイングも増す。
私の記憶が正確であれば先手を打ったのは「ジョー」であるが、力石はそれを難なくかわす。
ここではボクシングと言うスポーツやショービジネスではなく「男同士の少年院時代からの因縁の対決が繰り広げらているのである」
少し余談になるが、昭和生まれの方なら御存知であろう、浪速のジョーの愛称で知られた「辰吉 丈一郎 氏」も実際の試合でノーガードで相手を煽っていた時期もあった。
この試合は、ジョーのKO負けで、力石が死に幕を閉じる。
やはり、ジョーは普通の人間関係を結ぶことが出来ず、暴力の「昇華」された形であるボクシングを通してしか他者と深く拘われない。
しかも強い依存心をもっていながら、依存する対象を尊重することができず、相手を傷つけ、激しく対立する。
ここで依存している相手は「力石 徹」であろう。
力石 徹は死んだ。
しかし、ジョーの中では、力石の「死」によって「無意識の罪悪感」が生じたのであった。
それが、顔面の打てないボクサーとなった原因であろう。
昇華とは、
精神分析の用語としては、無意識的の性的エネルギーが社会的に価値あるものに置換されることを言うが、
一般的には、ある状態から、更に高度な状態へ飛躍することである。
今回はこの辺で終わりにします。
次回は、境界性パーソナリティー障害とジョーの関係、現代の子供達と通じる部分があるので、そこを深堀りしていきたいとおもっております。
読んで頂きありがとうございました。
心を和らげる相談室 HEART 代表 杉野 茂広
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