2020年02月23日
Mさんは、私の郵便外務員時代の同僚です。
Mさんの年齢は年齢は、私よりも2つ上ですが、後輩になります。
この件を語るには、少し遡って話した方が良いでしょう。(すみませんが、お付き合いください)
先程もいい言いましたがMさんは同僚で、同じ爆弾を抱えて仕事をしておりました。
二人に共通する爆弾とは「腰椎椎間板ヘルニア」です。(以下、ヘルニアと略)
お互いに「ヘルニア持ち」と言う事で、「Mちゃん! 腰、どうや?」、「茂ちゃん、アカンのか?」等、
お互いを気遣いながら仕事をしておりましおりましたが、仕事をするペースや段取りは各々違いました。
恐らく、「ヘルニア」に対する自分なりの対処、メンテナンスの仕方も異なっていたでしょう。
共通認識は「ヘルニアは、途轍もなく痛い」と言う事だけだと思います。
毎日、何時間もバイクを運転するのですから、腰に負担が来てもおかしくありません。
日々の会話は ”ほのぼの” したものでしたが、ヘルニアが悪化すると二人は我慢できる範囲までは「薬で誤魔化し」勤務するのですが。我慢しきれないくらいになると、二人の意見と考え方が別れます。
私は、「本日、今から病院へ行って診断内容に応じた対応をとらさて頂きます」と上長に報告して病院へ。
Mさんは、それでも次の日には必ず出勤してくるのです。
お互いに自分の身体を酷使していた事は認めます。
ある日、バイクでの帰局が同じになった時がありました。
一昔前ですから、バイクを運転させたら”荒い”の一言に尽きます。
エンジン音も昔のバイクは大きくて苦情もよく頂きました。
そして、猛スピードで車庫へ突入しバイクから降り、郵便カバンを持って局内へ入るのですが、
どうやら、その時は二人共 ”腰の状態が我慢の限界に近かった” 様で
私は、腰をほぼ90度に曲げて歩かないと動けない状態。
Mさんは、歩幅をいつもの半分でゆっくりじゃないと動けない状態。
それを見て、20代前半の後輩が「何っすか? さっきのバイクのスピードと全然違うじゃないですか?」
「バイク降りたら、爺さんですか?」と、言われる程、
「各々の痛みの限界」までを共にしてきたMさんと私でしたが、次の移動で私とMさんはそれぞれ別の局に配属となりました。
お互いが、別の局と言うこともあって疎遠になってしまいました。
私は、心の中で「○○局ぅ? やったろ! 一回、地獄を見て来た人間を舐めんなよ」と言う気持ちを持ちつつ
3か月後には「腰椎椎間板ヘルニアの手術」となりました。
では、Mさんはと言うと職場に馴染めず「鬱病」を発症したとの情報が入ってきました。
当時は、カウンセラーに成ろうともおもってい思っていませんでしたから「え! 何で? そんなん、なる訳ないやん」・・・「お前等、Mちゃんの事、知らんでやわ」と、気にも留めませんでした。
それから、色々あり1年間は自宅療養を強いられました。
その間に、ヘルニアの再突出が判明し2度目の手術となりました。
そこから、更に1年間の自宅療養の上乗せで、追い打ちを掛ける言葉が医師から発せられました。
「杉野さん、もう職場変えてもらいな。」 これは、ショックでした。
正に天職と思っていた職場を「変えてもらえ」・・・って。
「次、再突出したら背中に鉄板を入れてボルトで固定します。」
「そうなりたくないのであれば配達員以外の所属に変えて貰ってください。」との事でした。
「そうかぁ、内務か。しゃーないな。」と、職場へ連絡するも回答は非情で「外務員が出来るまで自宅待機」でした。
よーし、解かった!俺は要らんちゅーことやな。(この判断に辿り着くまでに組合、直談判など手は尽くしました)
それなら、「休職期間満了まで引っ張り、自分で違う道を探す覚悟でいました。」が、
厄介な事に「腰」という部位は必ず動いてしまう部分、腰に負担の掛からない仕事、仕事、仕事と毎日ベッドの上で考えておりました。
ちょっと・・・・俺、元アル中やんな!
依存症から抜け出せない人、いっぱい居るよな? 助けられへんかな?
そんな、思いつきから「この道に入りました。」
思いついたら早いもので、講義には出席するは、実技があると言えば出席するは、通信教育は始めるは・・・
そして、プロフィールにか書かれている資格を取得しました。ちゃんと、実技の試験も合格しております。
それが、また合格通知を持って来るのは ”郵便外務員” 何の試験ですか?って来る訳です。
そうなると、局で広まり「悩み事のある同僚が次々とやってくる」
そんなことがあって再び Mさんの話が出たのです。
「Mさん、今は、腰でやすん休んでますけど「鬱」も続いているらしいです。」の情報が入ったのです。
早速、翌日の昼に電話してみました。
結果、私の考えている以上の状態でした。
まず、「呂律がまわ回っておらず、何を言っているのか分からない」
「カウンセリング付きのクリニックに通っている」事は理解出来ました。
Mさんの通院しているクリニックは市内でも悪評が高い事は聴いていましたので、先ずそのクリニックには行かないように指示しました。
S:「おい! 酒、飲んでる?」=呂律が回っていない部分の確認です。
M:「飲んでないよ」=ここでも呂律は回っていません。
S:「そうか。 ほんならなぁ、○○ってクリニック行ってないか?」
M:「行っとるよ、でも あそこ高いんさ。1回行くだけで7000円も掛かるんさ」
S:「もう、行くな。今からMちゃん家、行くで出て来れる?」
M:「分かった」
その悪評高いクリニックは、症状に合わせた薬を処方するのではなく、それ以上の効力の強い薬を処方する事でも有名でした。
無事にMさん宅に到着し、チャイムを鳴らし中へ入るとMさんは居ました。
無表情で。=表情の平板化です。(この状態は鬱では現れません=統合失調症の破瓜型の典型的症状です)
S:「Mちゃん、明日、一緒に違う病院行こ」
M:「大丈夫やって、ちゃんと薬飲んどるんやで」
S:「その薬が、Mちゃんには合ってないし、病名が違うと思うよ」
M:「大丈夫って」
S:「じゃあ、なんで酔っ払いみたいに舌が回ってないの? Dr、本当に鬱って言うとった?」=再度確認
S:「鬱なら鬱でエエけど、薬が強すぎるし、違う薬飲まされてんで!」=まだ、統合失調症とは告知していない。
確認の為にMちゃんに、これ言ったら絶対に怒ると確信のある言葉を浴びせました。
しかし、表情は変わらず=ここで【統合失調症が確信】に変わる。
M:「茂ちゃん、なんでそんなん解かるの?」
S:「ええ!休職期間満了でクビにされたん知ってるやろ? それからカウンセラーの勉強して薬の事もチョットは頭に入ってるでな。 やで、もうカウンセラーに見てもらいたいとか相談があるんやったら俺にしろよ!」
M:「そうやな、次は俺がクビの番やわ」=これが、根本的な問題と確信してた。
S:「それは、させへん。 満了まであと何か月や?」
M:「半年くらいと思うわ」
S:「半年あったら上等、それから元の局に戻す様に言うで! 心配するな、俺を信じろ!」
M:「そんなん無理やって」
S:「それはどうかな? 絶対に戻れる様にする。だから、早く寛解までもっていけよ」
次の日、私の御世話になった病院へ連れて行き「先ずDrに詳細説明後、本人に受診頂きました」
入院はせずに、自宅療養ですみました。
やはり、Drからも、「何処のクリニック? この薬出したの?」と聞かれましたし、=守秘義務で言えません
病名も「統合失調症 破瓜型の傾向が強いが鬱もチョット持っているみたいなので、今回の薬で様子を見て調整していきます」とのお言葉頂きました。
どうでしょう、3か月くらいで転勤の見通しも立って、それに合わせる形で本人が体調を調整してくれたので、違和感なく元の職場で活躍されています。
周りの外務員一同が見守ってくれています、私も2か月に一度は定期連絡してフォローしております。
何かあれば直入電する様に班長連中にはお願いしておきました。
「環境が変わればストレスが溜まり、思わぬ症状と向き合う可能性が大きくなる」と言う典型的な事例だったと思います。
皆さんも、薬によって喉が渇くこともあると思いますが、若干、そう感じる程度ならば問題ないでしょう。
(私の場合、喉が渇くと言う表現を通り越して「喉がカサカサになる感覚(喉が砂漠みたいな感じ)」を経験したことがあります。)
500mlの水を一晩で、5~6本飲んでいた時期もあります。=それも、薬が合わなかったことが原因です。
お薬、環境の変化、ストレス、大切な人との死別などで、感情のコントロールが上手く出来ない時が出て来るかも知れません。
そんな時は 「心を和らげる相談室 HAERT」を訪ねてみてください。
代表 杉野 茂広
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